新協電子株式会社

HISTORY

創業当時から変わらぬ技術のチャレンジ

 新協電子は創業当時から多くの技術にチャレンジし、開発を通して成長した企業となります。 第一次ベンチャーブーム(1970年代)よりも前に設立し、開発優先のベンチャービジネスとして台頭してきました。
 創業後、1967年にはミニコンピューターを導入して画像処理関係の技術を確立し、その後も放送システムに関連するビデオ技術、スイッチャーを開発して成長を拡大。 1979年にはデジタルメモリスコープを開発、量産をしながら2度の改良を進め、1986年にデジタルストレージオシロスコープをOEM販売しております。
 その他、カメラ技術、映像伝送、映像信号のエンコード/デコード技術を確立させ、現在でも活躍している光ファイバー伝送・ネットワーク伝送技術の礎を築きました。

昔から変わらぬ人材育成

「生涯をとおし一流の技術者として活躍できるよう導きます。」 「社員のレベルアップには援助を惜しみません。」
創業者の言葉です。
 当時から社内の研修会をはじめ、反省会や共同研究、イベントや展示会参加など社員のレベルアップに向けた支援をバックアップしてきた会社です。
 それは現在も同じく、新人の教育研修の充実、若い技術者が中心の技術力強化勉強会、外部講習会への参加推進など、様々な取り組みを支援しています。 人材育成が社員の満足度につながり、さらにお客様の満足度につながると考え日々精進しております。

昭和39年創業。
信号ケーブルを多重化させ
1本にまとめた技術力。

<1982年インタビュー記事より引用>
 新協電子がベンチャービジネスとして確固たる基盤を確立したのは創業6年目の昭和54年。 この年、デジタル制御器を開発し、CCTV(監視用テレビ)の汎用化をリードしたことがきっかけであった。
 当時、銀行強盗などの犯罪を防止するため、金融機関をはじめとする企業はいっせいにCCTVの導入をはかっていた。 従来、CCTVはカメラとモニター装置をつなぐビデオ信号用ケーブルと制御信号用ケーブルを別々に敷設していた。 しかし、ユーザー各社によってコントロールの仕方がまちまちであったため、CCTVシステムはユーザーによってそれぞれ個別に開発しなければならず、そのうえ設計や据え付け工事の面でもロスが大きかったのである。
 そこで新協電子の技術陣は、制御信号用ケーブルをなくし、ビデオ信号用同軸ケーブルの1本で監視用カメラの雲台(旋回カメラ雲台)からズームレンズの制御までやってのけるシステムの開発に取り組み、そして成功したのである。
 新協電子が開発したこのデジタル制御技術を大手メーカが代行販売してくれることになった。 当時の大手メーカは、高い技術集団であり、グループ会社以外の開発品を通常は扱わなかったが、新協電子の開発に飛びついてくれた。 この事実から如何に画期的なものであったかがわかる。
 さらにこのシステムは、その後、自動警報装置をセットにしたビデオ・トラップとして1974年のモナリザ展で大活躍し、世間の注目を浴びる。 これは人が近づくとカメラが対象をキャッチし、映像を自動的に信号化し、警報を出す装置。 従来、手動で監視していたものを自動化したもので、モナリザ展での成功がきっかけになって金融機関や工場での設置が爆発的に増えた。

 通常の電話番号を回しただけでは電話がつながらず、続いて暗証番号をダイヤルすることによって初めて相手を呼び出せるという”いたずら電話”防止のためのセレクト・ホーンなどのユニークなエレクトロニクス機器を次々と開発した。
 コンピュータのCPUの信号をICメモリーに記憶し、静止状態でブラウン管に再現して保守・点検を容易にしたロジック・レコーダも新協電子の開発製品であり、コンピュータメーカなどからの発注が相次いでいた。

これからも
ミライを止めない。

1964年(昭和39年)、創業メンバーである20代後半の7名が集まり始まった新協電子。
現在30名まで成長し、これからも技術のチャレンジを通して組織の成長を続けていく。